
終戦を迎えた後もインドネシアに留まり、この地の人々とともにオランダと戦って独立を達成、インドネシア人から「独立英雄」と讃えられている宮原永治氏。残留日本兵の互助組織を作るなどの活動が日本でも認められ、昨春の叙勲で旭日単光章を受勲した宮原氏に、大東亜戦争の本当の目的、戦前戦中教育の正しさなどをお聞きした。
元谷 今日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。また旭日単光章の受勲、本当におめでとうございます。
宮原 ありがとうございます。
元谷 私は2008年から「真の近現代史観」懸賞論文の募集を始め、第1回には現役航空幕僚長の田母神俊雄氏が応募、その論文が最優秀となったのですが、内容が村山談話に反するとして田母神氏が更迭され、大きな騒ぎになりました。この時すべてのマスメディアが、「日本は侵略国家ではない」と主張する田母神論文を批判しました。このように今の日本の報道は、正しい近現代史を知らずに行われており、極めておかしなものになっています。宮原さんは昔の日本の教育を受け、終戦後も軍人としてインドネシアに残り、オランダからの独立をインドネシア人とともに勝ち取った英雄です。89歳になられてもご健在である宮原さんのことを一人でも多くの日本人に伝えたいと思い、対談をお願いさせていただきました。
宮原 わかりました。私たちは教育勅語をしっかりと学びましたから、国を守るのが日本人としての義務だと考えていました。教育勅語は、今の日本でもぜひ学ぶべきものだと思いますよ。昭和14、5年頃から、中国共産党とスターリンのソ連の謀略によって、日本は大陸での戦いに引きずり込まれていきました。そしてアメリカとの戦争が始まり、昭和17(1942)年3月1日、ついにジャワ島に上陸し、オランダ軍と戦い、降伏させ、追い出したのです。以後3年半、日本はここで軍政を行っていました。
元谷 インドネシアへの進出は、侵略というものではなかったのですね。
宮原 当時、有色人種の国で独立しているのは、日本と南の大国・タイのみで、あとはすべて白人の植民地だったのです。私たちは学校で大東亜共栄圏の意義について学びました。大東亜戦争というのは、侵略戦争ではなく、民族解放戦争なのです。その証拠に、インドネシアやマレーシア、シンガポール、ビルマなど、日本が進出した地域すべてが戦後独立しているでしょう?白人を追い出して、民族を開放するという方針を掲げた日本のために、私たちは身を挺して戦ったのです。
元谷 しかし今では大東亜戦争は侵略戦争だと、多くの日本人が信じ込んでいます。
宮原 連合国が一方的に行った東京裁判によって、すべての罪が日本に負わされたのです。そのために、今の日本人は自虐的になっています。もっと歴史を学び、あの戦争は侵略戦争ではなかったと知って、胸をはって生きるべきなのです。
元谷 アップルタウンの2009年8月号で、私は駐日インドネシア大使のユスフ・アンワル氏と対談しました。その中で、350年間にも及ぶオランダの支配の後に、3年半の日本の軍政があって、日本のおかげでインドネシアが独立できたという側面もあり、インドネシア人も日本に感謝しているという話をしました。対談の原稿を作って大使に確認したのですが、その通りだが活字にはできないので、その部分は削除してくれと要請され、結局カットして掲載しました。
宮原 日本や日本人の手助けによってインドネシアが独立を成し遂げたというのは、事実です。しかしインドネシア人は誇り高い人々ですから、日本のおかげとは、あまり言いたがりません。活字にも残したくないでしょう。大東亜戦争の終戦後、オランダが戻ってきたのですが、約1,000人の日本兵がインドネシアに残り、3年半自分たちが訓練をしたインドネシアの若者たちとともに、独立戦争を戦いました。残留して戦うことは、上から命令があったわけではなく、みなが自発的に行ったのです。4年半戦い、やっとオランダを追い出すことに成功しました。
宮原 その通りです。残留日本兵はオランダを追い払うために、ゲリラ戦を戦い、その結果昭和24(1949)年のハーグ協定によって、12月27日にスカルノ大統領の下、完全な独立を果たしました。しかしインドネシアの歴史の教科書にも、独立に貢献した残留日本兵のことは書かれていません。約1,000名の旧日本兵が独立戦争に参加し、戦死・行方不明者は500人を超えています。生き残った者も、日本政府の助けなどもちろんなく、インドネシアの国籍もなかなか取得できない。1958年に日本とインドネシアの間で平和条約が締結される前は、本当に苦労しました。
元谷 残留日本兵のみなさんが、インドネシアが再びオランダのものにならないよう、帰国せず独立戦争に身を投じた当時は、日本からは脱走兵扱いでしたから…。最初はインドネシアでもなかなか評価されなかったのですね。その後はインドネシアでの評価は変わり、カリバタ国立英雄墓地に旧日本兵が葬られるようになったり、生存者には国籍が与えられたりと聞いています。日本では、宮原さんたちのことは教科書に出ていませんし、メディアが大きく取り上げることもありません。もっと多くの日本人に、このことを知ってもらいたいですね。
宮原 そうです。インドネシア政府からゲリラ勲章もいただいており、カリバタ英雄墓地には28人の旧日本兵が葬られています。
元谷 昭和20(1945)年の終戦時のことですが、降伏した日本軍から独立を目指すインドネシアへ、いろいろな手段で武器が引渡されたそうですね。例えば、紛失したことにするとか…。
宮原 川に流して、後でインドネシア側が拾いにいくというのもありました。武器を渡したいのはやまやまなのですが、国際法上、降伏した国として簡単にインドネシアに渡すわけにはいきませんでした。インドネシア青年たちからの武器の要求を拒否したために、彼らと日本軍との間で戦闘となった場合もありました。
元谷 そういうこともあったのですね…。歴史には、あまり人々に知られていない事実がたくさんあります。BC級戦犯もその一つです。A級戦犯については様々な報道がなされてきましたが、死刑になったのは7人。一方、世界中で行われた裁判の結果、日本人のBC級戦犯が900以上死刑に、その他懲役も含めると有罪となった人々の数は膨大です。また多くの人の容疑は捕虜の虐待であり、それを実行していた下士官、兵士が処刑されていったのです。ですから、特に捕虜収容所にいた兵士が、顔や名前を覚えられていて、戦犯として逮捕されるケースが多かったと聞いています。日本軍の捕虜虐待はこうして厳しく処罰されましたが、連合国側の兵士で捕虜虐待によって処罰された人間は一人もいません。勝者が敗者を裁くにしても、C級戦犯の罪を「人道に対する罪」としているのであれば、これはあまりにも不公平なことです。こんな事実も、今の日本人には知られていないのではないでしょうか。
宮原 まったくその通りです。
元谷 ところで宮原さんは、村山談話や河野談話をどう思いますか?
宮原 言語道断です。このお2人に加え、細川護煕は、歴史を全く勉強していない。東京裁判史観にすっかり洗脳されています。アメリカは戦後、日本が再び向かってこないように、日本人を骨抜きにする占領政策をとりました。教育勅語を廃止し、20万人以上を公職追放にし、数十万点にも及ぶ書籍を焚書にし、マスメディアを配下において、新聞やラジオで日本は悪、アメリカは正義の味方というマインドコントロールを、サンフランシスコ条約で日本が独立を取り戻すまで6年8ヶ月も続けたのです。しかし真実としては、当時の白人は有色人種を一人前の人間とは思っていませんでした。奴隷扱いだったのです。
元谷 そんな過酷な扱いをされていた人々を日本軍は開放したのに、侵略したといわれる。話がさかさまになっているのです。
宮原 そもそも勝った国が負けた国を裁くというのは、国際法違反です。また戦勝国が敗戦国を一時的に治める場合には、敗戦国の法律に従うと定められていて、勝手に法律を押し付けてはいけません。しかし東京裁判では、それまでの国際法にはない「平和に対する罪」で裁かれ、さらにフィリピン憲法をベースに1週間で作られた英文の憲法草案を無理やり日本語に翻訳し、それを日本国憲法として国会で強引に承認させました。これらもすべて国際法違反なのです。
元谷 そうです。しかもこれら一連の日本弱体化政策を実行したマッカーサー自身が、昭和25(1950)年の10月15日に、ウェーク島でトルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りだった」と報告しています。さらに翌年の5月3日、アメリカ上院の軍事・外交委員会では、先の大戦を日本の自衛戦争だったと証言していることは、明確な事実です。これらのことも多くの日本人は知りません。また、昭和30年(1955)年に、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が行われました。その際、日本代表は各国首脳から「独立できたのは日本のおかげ」と握手攻めにあったというのです。これも知られていません。平成十七(二◯◯五)年に行われたバンドン会議五十周年を記念する首脳会議で、当時の小泉首相は、村山談話に輪をかけてひどい謝罪演説を行いました。歴史を知らない政治家が、どれだけ日本の国益を損なっているか。本当に馬鹿げた演説だったと思います。
宮原 近代史をもっと勉強すべきです。日本は負けたものの、大東亜戦争によってアジア各国は独立を果たすことができたのです。
元谷 その通りです。もし日本が日露戦争に負けていたら、300年以上続いていた白人の世界支配が、400年、500年と続くことになっていたでしょう。21世紀の今になっても、白人国ばかりで、有色人種の独立国が一つもない…そんな状況であっても、まったく不思議はありません。日清・日露、第一次大戦、そして先の大戦の日本の戦いによって、すべての民族が平等な世界が実現したのです。アメリカに黒人大統領が誕生したのも、いってみれば日本のおかげなのです。オバマ大統領に、一度そうはっきり伝えないと(笑)。
宮原 だからといって、歴史を知って、うぬぼれたり、横柄になってはいけませんが、逆に卑屈になる理由もないのです。
元谷 アメリカは民族解放を目指す日本を、早い段階から警戒していました。明治38(1905)年、日露戦争はアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の斡旋によって、ポーツマス条約の調印で幕を閉じます。その裏で、アメリカはオレンジ計画を立案して、対日戦に備えていたのです。また大正13(1924)年に排日移民法が成立してアメリカへの移民ができなくなり、それと前後する土地に関する法律の変更によって、日系人の土地所有が認められなくなります。迫害の始まりです。昭和16(1941)年には在米対日資産を凍結、さらに8月1日には日本に対する石油の輸出を全面的に禁止し、アメリカの圧力は一層高まります。一方、アメリカ軍人による義勇航空隊「フライング・タイガース」を組織して、日米開戦前に中国で日本軍を攻撃していたのです。中国ではその時の資料を堂々展示しています。アメリカの圧力により、日本は自衛のためにやむなく戦争を始めたのです。
宮原 その事実認識は正しいと思います。
元谷 日露戦争時には、ロシアの南下を食い止めたいというイギリスの思惑から、日英同盟が結ばれていました。その裏には、日本とロシアが戦っても、万が一にも日本は勝てない。負けた日本を植民地化、そうすれば世界中が白人の帝国となるという読みがあったのではないでしょうか。つまり日英同盟の真の目的は、有色人種の最後の牙城である日本を潰すためのものだったのです。
宮原 確かに、そういう見方もできますね。
元谷 よく先の大戦で日本がアメリカに戦いを挑んだのは、無謀だったという主張を聞きます。軍事力に格段の差があったのならその通りですが、実は開戦時の日米の海軍力を比較すると、日本の方がわずかに上回っていたのです。しかもアメリカ艦隊は、太平洋と大西洋に分散していましたから、決して無謀な戦いではなかった。無謀だったのは日露戦争の方で、陸軍力を示す野砲の数は、ロシアの12,000に対して、日本には636しかなかったのです。しかし、それでも勝てた。
アメリカのルーズベルト大統領は、「ヨーロッパの戦争に参加しない」という公約で当選していました。昭和16(1941)年の8月にチャーチル首相とルーズベルトは大西洋上で会談を行い、アメリカのヨーロッパ参戦の「口実」を考えます。日本を経済的に追い込み、軍事的な攻撃を仕掛けてきたら、被害者のふりをして反撃、同時に三国同盟を理由にヨーロッパにも兵を派遣するというものです。実際、すべてがこのシナリオ通りに進行していきます。ロバート・スティネットの『真珠湾の真実―ルーズベルト欺瞞の日々』に描かれているように、ルーズベルトは真珠湾攻撃が行われることを知りながら、ヨーロッパ参戦のために自国民の命を犠牲にしたのです。
宮原 そのようなアメリカなど連合国の卑劣な戦いへの誘導と、日本の目指したアジア民族開放の理念を、しっかりと今の日本人に伝えていく必要があるのではないでしょうか。
元谷 その通りです。私が行っている「真の近現代史観」懸賞論文は、まさにそのためのものです。また今日宮原さんにお会いしているように、歴史の生き証人を訪ねて、真実を明らかにしていく活動も進めていきたいと考えています。
宮原 それは頼もしいですね。
元谷 先日もロシアのサンクトペテルブルグに飛び、昭和3年(1928)年の張作霖爆殺事件が、これまで定説だった関東軍の河本大佐の仕業ではなく、ソ連特務機関の犯行だと著書で主張している歴史小説家ドミトリー・プロホロフ氏に会ってきました。彼自身も特務機関に所属していたようなのですが、機密に接する権限を持っていた上司で、その後歴史家となったドミトリー・ヴォルコゴノフ氏から多くの情報を得ていたようです。いろいろ話をして日本に招聘し、12月2日に東京で記者会見を行うことにしたのです。
宮原 そうですか。非常に意義がある活動ですね。
元谷 はい。しかしプロホロフ氏の来日にも背景があって、それも明らかにしなければと考えています。なぜロシアが今、張作霖爆殺の真犯人の暴露を許したかということです。私は、力を増し続ける中国に対するロシアの牽制だと思うのです。歴史問題で中国に対して弱腰にならざるを得ない日本。日中戦争の発端とされる事件の真相を明かすことで、日本が中国を侵略したという解釈を覆し、日本を有利にして中国台頭のスピードを抑えようという狙いではないかと。また張作霖爆殺の直後に、イギリス陸軍情報部の極東課が「ソ連の仕業」という報告を2度にわたって本国に入れています。根拠は使用された爆薬がソ連製だったということです。この報告書はロンドンのナショナル・アーカイブという施設で2007年から公開されていて、誰でも実物を見ることができます。(そのうちの一つは、W0106―5750という文書。)なぜイギリスがこれを今公開したのか?ここにもアメリカに次ぐ大国になろうとしている中国への牽制の意図が感じられるのです。これらのことからも、今歴史の転換点を迎えていると感じています。このタイミングで宮原さんからお話をお聞きできて、本当によかった。これからも、ぜひ歴史の真実を伝え続けていただければと。今日はありがとうございました。
宮原 こちらこそ、ありがとうございました。
宮原永治氏
台湾生まれ。志願兵として日本陸軍に入隊。中国やフィリピンを転戦したのち、インドネシア・ジャワ島で終戦。日本領ではなくなった台湾には帰らず、インドネシアの独立義勇軍に入り、4年半オランダとの独立戦争をインドネシア人と一緒に戦う。独立後は日本商社の現地駐在員として働き、インドネシア国籍も取得。インドネシア人と結婚して子どもも3人。1979年にインドネシアに残留した旧日本兵の互助組織「福祉友の会」を結成。その功績もあり、2009年春の叙勲で旭日単光章を受けた。