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BIG TALK 2006年6月号
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PROFILE
住友信託銀行の役員から、業界の常識を覆して、まったく系列外のあおぞら銀行の社長に就任した水上博和氏。36年に及ぶビジネスマン生活の中の16年をニューヨーク、ロンドンなど海外勤務で過ごした国際派の氏に、世界的な観点から見た日本の問題点や地方復活のための道筋、ビジネス社会を生き抜く心構えなどをお聞きしました。
 軽微な犯罪の取締によってニューヨークは復活した
元谷 今日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。
水上 こちらこそ、こういう機会をいただきまして、ありがとうございます。
元谷 ホテル社長と高校時代の同級生だそうで。以前から同級生にこんなに凄い人がいるのだと、社長から話を聞いていました。アパグループとあおぞら銀行とは、日債銀時代からかなり長い期間の取引実績があります。そこにまさか、ホテル社長の同級生が社長になってやってくるとは…(笑)。夢想だにしていませんでした。
水上 系列外銀行役員からの社長就任は、この業界でも非常に珍しいことでした。
元谷 早稲田大学のご出身ということで、大学もホテル社長と同じで(笑)。住友信託銀行にいらっしゃる時は、海外畑が長かったと聞いているのですが。
水上 33年の住友信託銀行勤務の中で、留学を含めますと16年間、海外にいました。まず留学でアメリカに行きまして、その後はシンガポール、ニューヨーク、ロンドン、そしてまたニューヨークと。バブル真只中の80年代には、私は全く日本にいませんでした(笑)。
元谷 それはむしろラッキーだったかもしれませんね(笑)。私にとって、バブルとその崩壊はチャンスでした。外国の人と同じ視点でバブルを見ていると、何かがおかしいという気がしました。日本だけの論理として、土地神話が成り立つ事はひょっとしたらあるかもしれない。しかし世界基準で考えた場合には、収益還元法というものさしで不動産を見るべきではないかと感じたのです。購入するために借りた資金の金利よりも低い運用益しか出ない土地が、どうして売れていくのか。誰が考えても理屈に合わないのに、皆が日本の土地をどんどん買い進めていました。だから私はこれをチャンスと考え、すべての不動産を崩壊前に売ってしまったのです。
水上 それは慧眼ですね。
元谷 水上さんと同じように、早くから海外を度々訪れていたのが良かったのだと思います。世界65カ国を巡りましたから。1回の旅行がだいだい2週間、年に5〜6回、都合2ヶ月ぐらいは海外にいたことになります。外国というのは楽しくて勉強になります。結果、海外に多くの友人を持つ事ができ、海外での考え方、常識がある程度自分のものになっていました。だから日本の地価上昇の異常さに気が付くことができ、バブル崩壊をチャンスに変えることができた。「国際派」と呼ばれる人々は皆、バブルの崩壊を予見していたのではないでしょうか。
水上 なかなかそういった冷静な判断を下した人は少なかったですね。皆がある意味、熱病にかかっている状態でしたから。
元谷 水上さんはニューヨークが長かったのですね。私もニューヨークへはよく行きました。9・11のテロで崩壊した世界貿易センタービルですが、その前にも地下駐車場で爆弾を積んだ車が爆発したことがありました。
水上 1993年のことだったと思います。
元谷 あのツインタワーには取引があった邦銀の支店が入っていたので、爆発前にも、そして爆発の一周年の日にも行ったことがあります。一周年の日は特別警戒が厳重で、オフィスに着くまでに何度もセキュリティーチェックを受けました。こんな警備の強化もあって、地上からの攻撃はもうできないと考え、飛行機による突入を思い付いたのでしょうか。あのツインタワーにはユダヤ系の金融機関が多数オフィスを構えていて、アメリカの象徴であるとともに、ユダヤ資本の象徴のような場所でしたから。アルカイダはあのビルの崩壊にかなり執着していたのかもしれません。
水上 確かに。2度も攻撃していますからね。
元谷 昔のニューヨークは治安が悪かった。特に恐かったのは、未成年者のチンピラギャングでした。犯罪組織にしても、法律的に刑が軽く済み、捕まった後家族の面倒をみる必要がない子供の方が便利に使えるようで、最前線に配置していました。私自身、友人に「子供には気をつけろ」とアドバイスしていました。ところが一度、息子が車の中から風景を撮影しようとシャッターを切ったら、隣を走っていた車のチンピラが自分達を撮ったと勘違い。追っかけて来て、カーチェイスになりました。一方通行の道を、ぎりぎりのハンドルさばきで左折、ようやくまくことができました。世界中レンタカーで走ってきましたが、一番ハラハラした事件でしたね。
水上 当時は窃盗が横行していました。一番多かったのが、背中にペンキを塗られて、それに気を取られている間に、ポケットの中の財布を取る手口。ワインボトルといって、紙袋に包んだボトルをわざとぶつかって落とす。割れてしまったら、このワインは最高級ワインで何十万するから弁償しろと因縁をつけるなど、いろいろな手口がありました。
元谷 1994年にニューヨーク市長となったジュリアーニ氏が採用したのが「割れ窓理論」でした。小さな犯罪を放置するとその地域の治安全体が崩壊していくという理論で、逆にどんな軽微な犯罪も厳しく取り締まることで、治安を取り戻そうというものです。これに則って少年達の細かな非行行為も取り締まりの対象に。それに加えて、財政も厳しい中、ポリスアカデミーの学生まで動員してパトロール要員を強化したのです。これが功を奏して、しだいにニューヨークの治安は回復。また9・11後の警戒強化の副次的効果も大きかったですね。
水上 それは当たっていますね。
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 土地神話が復活することは絶対にあり得ない
元谷 水上さんは、もともと海外勤務希望だったのですか?
水上

ぜんぜん違いました(笑)。

元谷 しかし優秀な方でないと、銀行内で選ばれて留学などさせてもらえません。銀行で留学を経験した社員がアパグループにもたくさんいます。一時期企業の費用で海外に留学させるのが流行でしたが、そういう人ほど早く会社を辞めてしまったり(笑)。優秀な人ほど、海外へ出て自由な空気を吸ってくると、日本の閉鎖的な会社に閉じ込められているのが嫌になって、飛び出してしまうようですね(笑)。でも水上さんは、留学された後も常務まで住友信託銀行にいらっしゃったことが逆にチャンスとなって、あおぞら銀行の社長になったわけですよね?
水上 意図していたことではないのですが…(笑)。
元谷 留学後、16年間も海外勤務をされた経験というのは貴重な財産です。ホテル社長ともよく話しているのですが、人生に坂が3つある。上り坂、下り坂の他に「まさか」がある(笑)。世の中、一寸先は闇ですから。私は、非常に運に恵まれてここまでやって来ることができましたが。
水上 いやいや。それは代表の慧眼によるものが大きいですよ。やはり事業を起こされる方というのは、普通の人とは違います。いつもエッセイを拝見して敬服しています。よくもこれだけきちっとした見識を作ってこられたなと。
元谷 海外での経験も非常に事業に役立っています。いわゆるノンリコースファイナンスの概念がまだ日本にはなく、不動産担保融資が主流だった1984年頃に、プロジェクト金融を活用したパートナーシップ事業をアメリカで友人と一緒にやっていました。今やっているSPCを使った不動産証券化による事業は、そのパートナーシップ事業の経験があったからこそ、素早く取り組むことができたものです。バブルの崩壊をいち早く予見して資産を売却し莫大な利益が出たわけですが、そこで航空機のレバレッジドリースを行うことによって、この利益を未来へと先送りできたのもこの経験から。このリースの話は外資が持ち込んできたのですが、私にはすぐに理解できました。でも他の経営者に話しても、なかなかわかってもらえなかったですね。
水上 私が初めて銀行の案件として、レバレッジドリースに取り組んだのは、シンガポールにいた時でした。一九八四年のことです。代表がおやりになったのはいつですか?
元谷 1989年頃です。何本も出資して購入したジャンボジェット機を、オランダ航空や英国航空に運用させていました。話を持ってきた外資も、このレバレッジドリースによる節税スキームを売り出し始めたばかりだと言っていました。水上さんが担当されたのは、日本で一般化する随分前の話ですね。
水上 当時のバンカース・トラストがアメリカで出資を募り、借金の部分を我々が担当しました。このレバレッジドリースというのは細部までいろいろと複雑な仕組ですから、細心の注意を払って仕事を進めたことを覚えています。
元谷 私の場合は、そもそもアメリカでパートナーシップ事業を始める時に、日本人でアメリカにいる弁護士を通訳兼仲介者にして、ユダヤの弁護士事務所とプライス・ウォーターの公認会計士に依頼して、この事業の点検を行ったのです。その時にスキームを完全に理解しました。私は子供の時から「なぜなぜ坊や」で、わからないことは人に聞いたり、図書館で調べたりしてとことん理解しないと済まない性格ですから(笑)。だから、レバレッジドリースの話にもさっとのることができたのです。あと、効率の良い投資先として、ハリウッド映画にも投資しました。映画は減価償却が非常に早いですから。
水上 70年代後半から80年代の初めだと、いわゆるスワップ取引がようやく始まりましたね。これは銀行の中でも理解できる人間が非常に少なかった。
元谷 スワップ取引のような商品は、スキームを作る人が一番儲けるのです。それを斡旋するところは確実なさやをとる。もともと片方がハイリスク・ローリターン、片方がローリスク・ハイリターンの仕組です。こういう取引の元をたどっていくと、全部ユダヤの金融資本に行き当たります。彼らは銀行の介在を許すかわりに、ローリスク・ハイリターンの部分を取る。そしてハイリスク・ローリターンの部分が日本にやってくる。デリバティブは理数系でないと理解できないとか、金融工学とか言われていますが、仕組を作った人が得するようにできているのは確かで、それは日本人ではないのです。
水上 なるほど。
元谷 バブルがあって、デフレの極みがあって、この二つは物凄いビジネスチャンスでした。上がった時には売って、下がった時には買って。昨日もアパホテル〈大阪谷町四丁目駅前〉がオープン。ホテル社長が挨拶で、今は潮干狩りだと話していました。100年に1回の大波が来て高値の時にうまく売って、引き潮の安い時にあさりやらを取って(買って)。最近水かさがまた少し増してきたので、買えないですね。日本がまたバブルになると思ったら大間違いです。もはや国際基準の収益還元法という考えからは抜けだせないのだから、ある一定の上限と下限の間で動く事はあっても、そこからはずれて「土地神話の復活」ということはあり得ない。
水上 金利が今後上がることも必至ですし。
元谷 原油価格もとうとう70ドルを越えました。資源価格の高騰はバブルという人もいますが、中国やインドという巨大な人口の国で実需が出ています。そういう需要増が背景にあっての資源価格、原油価格の高騰という解釈をすべきであって、これはバブルではありません。
水上 原油メーカーが、これで大変な利益を上げています。それを消費者に還元するような動きがどこかで出てくるとは思いますが。
元谷 バイオマスなど、代替エネルギーの研究ももっと進むと思いますが、かつてのような原油価格には戻らないでしょう。そう考えると、急速に70ドルをさらに超えて上昇したり、一気に長期金利がかつてのように4〜5%までいってしまうと、日本の景気も失速するかもしれません。
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 世代の交替によってのみ地方都市の再開発が実現
水上 欧米は今、景気の良さから不動産価額が非常に堅調です。日本のバブル期には皇居でカリフォルニア州が買えるなどと言われていましたが、最近の状況ではニューヨークやロンドンの不動産の方が、東京よりも遥かに高い。この欧米の状況がすぐに弾けるかというと、テロとか他の理由があれば別ですが、すぐにはそういう動きにはならないでしょう。そして海外から見ると、東京の不動産は非常に魅力的に見えているはずです。ちょうど80年代、日本からみてアメリカの不動産がそうだったのですが。
元谷 今の為替レートは過度の円安です。1ドル=120円というのは、大変低い評価。外資が日本株を購入しているのは、値上がり益のためだけではなく、円高になった時の為替差益がおいしいと思っているからではないでしょうか。
水上 逆に、日本の金持ちにとっては、今円を持っていても全く利益を生まない状況です。だから外貨投信や外貨預金が膨大な額になり、これが為替を円安へ誘導する要因になっています。一方でオイルマネーが溢れているために、世界的にファンドの資金は潤沢です。こんな大量の資金を投資できるマーケットはそんなに多くない。最近は、土地や株で日本に外国資金が大量に流れ込んできていますね。従って為替については、この様な海外投資の流れと対内投資の流れの綱引きになっていますが、対内投資のボリュームが拡大傾向にあります。
元谷

土地に関しては、収益還元法によって利用価値があると思われる場所のみが上昇しています。容積率の高いエリアであったり、総合設計制度の適用が可能な場所であったり。過去の3倍、4倍になった土地がある一方、地方の農地などは下がりっぱなし。収益がないと思われている土地は今後も下がり、利用価値が高いところは上昇して、二極分化が進むでしょう。また私は、東京一極集中が今後さらに進展すると考えています。

水上 そうですね。
元谷 今まで公共工事は地方の景気対策であり、失業対策でした。広くお金を配付するために、役に立たないと思われることもやってきた。それが官製談合問題の糾弾とともに姿を消していき、投資効果の高い事業となると、これはもう大都市で行うしかない。大深度地下の公共的利用に関する特別措置法が成立しているのだから、東京の地下に横断道を作って物流スピードをもっと上げるとか。最大の都市である東京にもっと投資して、住み易い東京圏を作ることがこれからの目標になるでしょう。
水上 しかし、地方をこのまま廃れさせてはいけないし、少し時間はかかりますがそうはならないのではないかと。アメリカの例を見ると、私が留学していた70年代の初めには、地方都市が本当に荒れていました。ダウンタウンは廃虚になったビルばかり。ところが、最近のローカルシティのダウンタウンは小綺麗。これは中心部の土地の所有権の整理が進んできたからです。世代の交替をきっかけに、中心部の土地の所有者構成が大きく変化したのです。日本の場合、私の生まれた福井でも、昔の面影を残した美しい街並みはなくなってしまいました。土地や建物を持っているのは老人。商売もたたみ、子供は他の場所で暮らしていますが、小さい時から暮らしているその場所から離れられない。土地や建物を相続した次の世代は、きっとこの土地に執着しないでしょうから。その時初めて、地方都市の再開発が本格的に動き出すのです。しかしそれにはかなりの時間が必要ですから、我々の世代には間に合わないかもしれません。
元谷 地方の中心市街地が疲弊した原因は、モータリゼーションの普及で郊外にできた大型店です。
水上 それはアメリカも同じです。
元谷 核となるような商業施設を誘致して、中心市街地を再活性化させる動きが出てきています。所有者が若手に移るタイミングに、だれかが取りまとめて再開発すべきですね。
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 世の中は不公平が当たり前努力によって運を呼び込め
水上 もう一つ、アメリカではできているのに、なぜ日本でできないのかと思うのは、引退者が集まる街です。引退した後にどこに住むか。日本では結局は東京など、働いていた場所に居を構えて住んでいるケースが大半です。アメリカだと、大抵の場合転居してフロリダなどの隠遁地へ。引退者が集まって、りっぱな街を作っています。日本でも沖縄や九州、北海道などに、小さなコミュニティはできていますが、街はできない。
元谷 そうですね。
水上 まず多くの人がどこか住み良い場所に移って、大きなコミュニティを作れば、自ずとビジネスをやる連中が集まってくる。そうすれば、りっぱな町ができる。そういうのが日本には皆無。こういうことを、アパグループに一つのビジョンとしてやっていただきたいのですが(笑)。
元谷 しかし、一旦職域を中心としたコミュニティに組み込まれてしまうとなかなか抜けだせないですね。ご主人が定年になったから転居しようと言っても無理。奥さんには地域で役割があったり、子供の縁もあったり、アメリカに比べて濃密な2重3重の人間関係が形成されています。ここに日本社会のアメリカ社会との違いがありますね。
水上 そうかもしれませんね…。
元谷 日本の戦後の状況を見ると、子供が集団就職や進学のために家を離れたり、ご主人が会社の命令で単身赴任したり。どんどん核家族になって、さらに最近は個家族になっているそうですが(笑)。政策的にこれは改めるべきではないかと思います。複数世代で住めば固定資産税を減額するなど、税の誘導で大家族制度を復活させるべきです。また加工貿易で外需に依存して景気回復を図るのではなく、内需で、つまり国民が豊かさを実感できる産業で景気回復を図るべきです。例えば国内旅行だったり、長期滞在のリゾートだったり、海外からの旅行客であったり。外国から資源を輸入して加工して輸出してというのは、戦後の復興システムとしては理想的でしたが、これだけ豊かになったら方向変換すべきです。国民全体が豊かさを享受できるように、税によって誘導する社会になるべきです。
水上 まったくその通りですね。もう一つ思うのは、私は東京とロンドンとニューヨークに住んだわけですが、東京の街が一番汚い。ロンドンは古い建物が多く、都市計画がなかったにもかかわらず、非常に街並が統一されています。パリもそうですが、改装する場合も外観はそのままで、中だけを改装しなければならない。ニューヨークにはそういった規制はありませんが、徹底的にマンハッタン島という狭い場所を有効活用するために、高さ制限をはずして、超高層ビルだけのスカイラインを作り上げてしまった。それはそれなりに見た目は美しいし、住んでいる人には便利です。日本の街並は、高いのから低いのから形から色合いから全てバラバラになっています。汐留のあるお客様のところへ行って、応接間に通されてぱっと下を見たら、そこは銀座。歩いている時には、なかなか瀟洒なビルが並んでいるように見えるのですが、上から見ると無茶苦茶。全部ブルドーザーで壊して、再開発したいですね(笑)。
元谷 世界第2位の経済大国に相応しい住まい方や景観づくり、豊かさが実感できる国づくりを今からやっていかないと、アジアの他国に追い越されることになりかねません。
水上 日本でいい街だなと思うのは、この代表の自宅がある西麻布の一角ぐらいなものですよ(笑)。
元谷 (笑)最後にいつも若い人に一言というのをお聞きしているのですが。
水上 最近若い連中と話をしていると、よく「フェアじゃない」といいます。勿論、我々もフェアな環境を作る努力は必要だと思いますが、若い人たちにももっとしっかり現実を見つめて生きる必要があるのではないでしょうか。世の中に公平なことなんてない。全くの不公平の中で、世の中というのは構成されています。ただし一つ言えるのは、本人の努力によって不公平な部分を変えて、「運」を呼び込むことは可能です。銀行でも、「チャンスを公平に与えてくれ」と言ってくる。これもおかしい。どんな人間にもチャンスはあるはずで、それを必死に取り組んでものにしていく努力をしていくことが大事です。そして絶対に現状に満足しないことですね。
元谷 自分の長所をカウントして、強みにして生きろというのが私のポリシーです。何よりその方が気持ち良く生きていけるじゃないですか。
水上 ポジティブシンキングですね。
元谷 私はまさにこうやって生きてきましたから、楽しい人生を送ってこられました(笑)。今日は本当に楽しいお話をありがとうございました。
水上 こちらこそ、ありがとうございました。
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profile
水上 博和氏
1947(昭和22)年福井県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、1970(昭和45)年住友信託銀行に入行。米州地区統括支配人・ニューヨーク支店長などを歴任。1998(平成10)年取締役を経て、2001(平成13)年取締役兼常務執行役員。2003(平成15)年11月あおぞら銀行に入行、12月取締役社長に就任、現在に至る。
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