2003年 9月号


清水 信次氏(日本スーパーマーケット協会会長 株式会社ライフコーポレーション会長兼社長)
元谷 外志雄(APAグループ代表)


そのバイタリティと発送で、戦後の流通業界を駆け抜けてきた清水信次氏。
今回のビッグトークは、日本の経済・社会を見つめてきたこの清水氏をお迎えして、その七十七年にわたる生き様や豊富な知識・経験に裏打ちされたこれからの日本に対する提言をじっくりと語っていただきました。



自由主義国の流通業界は天国と地獄の間を往来している。

元谷●今日は大変お忙しいところを、ビッグトークにご登場いただきましてありがとうございます。いろいろと社長がお話しになっているのを伺ったところ、非常に私の考えに近い。日本のことや事業のことなどをお話しいただければ幸いです。元々ご出身はどちらなのですか?
清水●三重県の津です。大正十五年の四月十八日に生まれて、九歳までいました。その当時三重県松坂は綿花の産地。この摘んだ綿を糸にしたり織物にしたりタオルにする仕事を親父はやっていたのです。第一次世界大戦でえらく利益が上がりましたね。ところが昭和初年の恐慌でやられて、工場も何もみんな売り払いました。そして昭和七年に両親は兄弟を連れて東京へ。僕は二年遅れて、昭和九年に大阪へ行きました。大阪貿易学校を出て、陸軍の学校の教官を一年やって、それから陸軍の特別幹部候補生で、鉄道第二連隊千葉に入りました。最後は本土防衛特別攻撃隊です。たこつぼ特攻隊というやつ。たこつぼを掘って、戦車地雷を抱えて、上陸してくるアメリカの戦車に突っ込んで靖国神社へ行くと。九月一日に九十九里浜の防衛戦で指揮をするところが、八月十五日敗戦になって助かったのです。
元谷●終戦の時は何歳だったのですか?
清水●十九歳と四カ月です。
元谷●血気盛んな時ですよね。
清水●ええ。それからが大変。八月二十九日に軍隊が解散して大阪へ帰りました。でも住む家も無ければ食べる物も無いし、働く場所も無い。隊から帰った翌日から阪急と国鉄大阪駅の間にあるガード下で野宿しながら、ヤミの食料品の運び屋ですよ。そうしなければ食べられない。
元谷●そこが今の商売の原点なのですね。
清水●そうです。いや、なかなかおもしろかったね。それはダイエーの中内さんも神戸の三宮のガード下でいろいろなヤミの薬品などを販売していましたし、イトーヨーカ堂の伊藤さんも、北千住のわずか一坪の所で商売を始めてと、皆同じです。
元谷●そういう体験をした人というのは、やはり強いですよね。
清水●そうして僕は昭和二十五年まで大阪にいたのです。忘れもしない、昭和二十五年の六月二十五日。当時、僕はもう大阪の中央市場に食料品の仲買の店舗と荷受け会社を持っていました。朝四時過ぎに会社へ行って、お店で商品の割付をしていたら、事務員が飛んできて「戦争が始まった!」と言うんです。それが丁度六時頃でしたね。「朝鮮半島で、北朝鮮が南へ攻め込んで大変ですよ」と。それを聞いた時に、大阪では世の中の変遷から取り残されると思いまして、すぐに東京へ出てきたのです。五年掛けて大阪で作り上げた会社や財産を全部置いてね。
元谷●東京はどちらで?
清水●東京駅に着いたらまだ焼け野原でね。東京駅から上野まで一望ですし、ちょっと高い所へ上がれば富士山がまる見え。でも築地の新富町の一角が焼け残っていた。あれだけの再三の爆撃だったのに。僕はそこの焼け残りの古い家の一階に事務所を借り受けて、二階で寝泊まりしたんですよ。さてそれから何をやるかというと、上野のアメ横へ行くとアメリカ占領軍の横流しのコーヒーやココアやウイスキー、パイン、バナナ、オレンジ、グレープフルーツなど何でもある。これを関西へ送れば商売になると。アメ横の親分を訪ねて行って商品を仕入れて、夕方に夜汽車で鉄道小荷物で送る。自分もその列車に乗って、朝大阪に着くわけです。そして荷物を受け取って、ヤミの料理屋とかに売りに行くと高く売れる。それを何回か繰り返して、また元金を作り上げて。でもこんなことをやっていても利幅が少ない。倉庫へ行って、その荷札とかを見てヤミの元を探しました。それは日比谷の富国生命ビルと三信ビル。ここにアメリカ占領軍の政商が全部巣くっている。その連中を訪ねて直接物を仕入れる。そうすると利益が倍ぐらいになりましたね。
元谷●考えましたね。
清水●それを二年ほどやりました。昭和二十七年に朝鮮戦争が終わって、サンフランシスコ平和条約を吉田茂さんがアメリカと調印して、日本の民間貿易がやれるようになった。新設の通商産業省へ行って「貿易の割り当てをくれ」と言ったら、個人ではだめだから業界団体を作りなさいと言われたんです。そしてパインアップルの輸入協会、バナナの輸入協会、菓子・酒の輸入協会、柑橘類の輸入協会を作って、そこで割り当てをもらうんですね。いわゆる財閥解体で、三井も三菱も住友もみんな資本金十九万五千円の小さい会社に分断されてね、その連中を集めて、輸入協会とか組合を作って、外貨の割り当てをして、みんなで分ける。その時分に商社や銀行、通産省、大蔵省などの役所、政治家といろいろなつきあいが始まっているのです。
元谷●でもまだ三十歳前後ですよね。若い時にすごい力をお持ちになったのですね。
清水●その点は体で覚えてね。で、その外貨割当業はもうかるのです。役所から外貨割当を受けると、もう半年分の商売がその瞬間に決まるわけです。変な話ですが、天から千両箱が降ってくるようなもの。若いし、時間はあるし、お金の使い道がある。
元谷●かなりいい思いをしたのではありませんか?
清水●それで外国へ(笑)。昭和二十九年に海外へ出ることを覚えたんです。南極と北極と中近東を除いて、他は全部行きましたね。英語は全然わからないけど、パスポートと外貨さえあれば困らない。当時は日本人が海外に行くには制限が多かった。ところが僕らは、貿易をやっていたから無制限です。だからいつも懐に一万ドルや二万ドルが入っていて、世界中を旅行できる。
元谷●その頃の一万ドルはすごいですよね。
清水●当時は王侯貴族です(笑)。楽しかったですよ。だから昭和二十年代から五十年代の四十年間は、もうこんな楽しい人生はない(笑)。
元谷●今伺っているとそういう海外でのお話とか、非常に良い人生を過ごされて来て、私の先を行くような先輩だと思いました。
清水●そのバチが当たってね、四十年間良い思いをして、後の十七年間は懲役みたいなものです。
元谷●そうなんですか?
清水●ええ。われわれ流通業界というのは、それはひどい業界ですよ。アメリカを見てもヨーロッパを見ても、自由主義国家の流通業というのは有為転変で、地獄と天国の間を往来しているようなものです。アメリカでもセーフウェイとかシアーズとかKマートが、世界一の流通会社として栄華を極めましたが、その後転落したりまた浮いたり。創業のオーナーなどはどこへ行ったかわからないようになったり、社長・会長も絶えず交替している。今のウォルマートは天国ですが、『おごれる平家久しからず』の業界ですから、またいつかは凋落の時が来る。
元谷●厳しいですね。競争が激しいんですよね。
清水●はい。ですから今の十七年は刑務所に入っている(笑)。楽した分はやはり勤めなければいけない。だけど今振り返っても、私は今日現在何の悔いもないし、全力投球してきた人生。ですから今日我がことが終わっても何も悔いることはありません。
元谷●そうです。どれだけ長く生きたかよりも、どれだけ全力で生きたかというのが大事ですよね。









その勤勉さと叡智で日本は、世界一豊かで贅沢な国になった。

清水●僕はいつも考えているのですが、ペリーが浦賀にやって来て、日本に開国を迫ったのはわずか百五十年前です。明治維新から百三十五年です。僕は今七十七歳なので、僕の倍もたっていない。長い鎖国から初めて国を開いたら、もうよその国は近代文明が発達している。岩倉具視もアメリカやヨーロッパへ行って度肝を抜かれている。そして帰ってきて「これでは駄目だ。日本をなんとかしなければいけない」という時に、金が無いんですよね。戊辰戦争で幕府と官軍が戦って、三井とか鴻池に借金が残っている。にもかかわらず、明治の人たちは太政官札を発行して、そして明治六年か七年には外債を募集した。それで造船所は造るし、鉄工所は造るし、紡績所は始めるし、製紙工場も造る。何よりも全国に小学校、中学校、高等学校、大学を造った。そんな金があったかというと無いんですよ。だって日本には産業など無いんですから。しかし開国してわずか十年や二十年の間に陸海軍までつくって、明治二十七年から二十八年には隣国である今の中国の清国と戦った。清国の艦隊を沈めるわ、陸戦でも勝つわ、そして十年たったら、今度は世界一のロシアと戦った。
元谷●すごいですよね。当時の日本人はとにかく気宇壮大で偉いものだと思います。
清水●では昭和二十年八月十五日に日本が敗戦した、あの時はどういう状況だったのかといいますと、昭和六年の満州事変以来、昭和二十年八月十五日の敗戦までに使ったいわゆる軍事費が今のお金で合計二千兆円です。では日本の政府はお金があったかというと、二千兆円使ったほかに、借金が海外のものも全部含めると三千兆円です。その借金をマッカーサーは「一銭も支払うことはならん」と。要するに踏み倒すのです。戦前の日本というのはものすごく貧乏だったのです。九九%貧乏で金持ちは一%しかいない。そんな中であの戦争をやって二千兆円も使い、それが終わった時には三千兆円もあった借金を踏み倒して、そしてわずかな間に世界第二の経済大国を作り上げて、もう国も全部復興したわけです。日本人の勤勉と叡智というのは世界に冠たるものですよ。
元谷●明治維新の時には志があった。先の大戦に敗戦した時には教育があった。敗戦後に教育を受けた人たちは「もう一度日本を経済的に立ち直らせなければならない」という思いがあった。でも戦後はだんだん教育が悪くなって日本精神もなくなり、今は志も無いし伝統的教育も無いことがこの閉塞社会の元凶かな、という気がするのです。
清水●おっしゃる通りです。ただ、有史以来日本の歴史は大体二千六百年ぐらい。今ほど衣食住とも日本の歴史で日本民族がこんなに贅沢をしたことは無いですよ。今、世界で日本人の生活が最も贅沢です。私自身で比べてみても、七十七年の人生で、今が一番恵まれているし贅沢です。ですから、今の人にいろいろと緊張を訴えてみても、本当に切羽詰まって追い詰められていないし、その反面、弱い人は、四年続いて一年に三万何千人も静かに自殺している。これも世界に例が無い。我々の若い頃からずっと辿ってみると、自殺者なんていうのは戦前はほとんど無かった。
元谷●貧しい時には、案外無いらしいですね。
清水●物乞いはいたけれども、貧しさのために自殺するなんていう時代ではなかった。それにみんなが助け合いました。みんなが貧乏だから、別に恥ずかしくもなかった。我々が小学校を出た頃は、一学級が六十人。小学校六年生が終わって中学校とか商業とか工業学校へ上がる人は六人と一割。あとの五十四人は、商店に勤めるか職工になるか。女性は女中に行くか、紡績工場へ行くか。男は兵役もありましたし。食事も一年の内に、肉の細切れが入ったカレーライスを一回か二回いただくか、すき焼きも一番安い並肉が入ったものを年に一回か二回食べられるかどうか。普段は大根、ごぼう、れんこん、おから。お魚はサバかイワシかサンマのみ。本当に御馳走にありつくのは、お正月にちょっとお餅とかおせちをいただくぐらいです。そういう時代だったんです。こうして戦前、戦中、戦後とずっと見てきて日本というのはとても恵まれているし、経済的に強い。今は不景気だデフレだと言うけれども、では今世界で日本以上に金を持っている国があるかというと、ない。外貨保有高が四千七百億ドル。これは日本が世界一。それから米国の国債を大体五千億ドル近く持っている。これも日本が世界一。そして在外資産は、大体百七十九兆円です。ちょっと減りましたが、これも世界一。日本はこんなに豊かなのです。
元谷●豊かになったけれども自殺者が三万人いる。物質的には豊かになったけれども、精神的に豊かになったかというと、やはり寂しい時代ですよね。
清水●天は二物を与えず。精神的な恩恵か、物質的な豊かさかと言われ、日本は物質的な豊かさを取ったわけです。
元谷●ただ、その精神的な豊かさを養うような教育をきちんとしなければ。私は過去にエッセイに「最大の福祉は、大家族制度の復活にある」と書きました。大家族が住めるような大きな家を造って、それぞれのプライバシーを尊重しながらもみんなで助け合って暮らす。朝食事をする時にはみんなで集まって、会社に行く時にはおじいちゃんやおばあちゃんに孫を見てもらってという形が、一番コスト負担が少ないと思うのです。今のように老人ホームを造ったり、保育所を造ったりすると、ものすごくコストが掛かる。それをみんなで負担すると、今の社会保険制度は破たんしてしまいます。一番いいのは「住まい面積倍増戦略」をやって、大家族制を復活させることだといつも言っているんですよ。そして家族の中で、その知恵が親から孫へと伝承していく。こういう社会のほうが人間は豊かに暮らせると思います。







日本の百年先のデザインを作らなければ、今の繁栄は幻に

元谷●今の日本は「官僚による、官僚のための、官僚国家」を作ってしまったことに問題があると思います。冷戦が終わって十二〜十三年もたったのですから、この辺で二十一世紀の国家戦略をもう一回きちんと描いて、目標を決めて、「さあ、みんなでがんばろう!」という社会を作らないと、現在の繁栄というのは幻で終わってしまう。未来についての清水さんのお考えはどうですか?
清水●私も一〇〇%同感です。ではなぜそうなったのかというと、敗戦の時に元があって、アメリカの占領軍による日本民族改造が、今の日本を作り上げたのです。ですからまず教育基本法を変えなければいけない。それから大家族主義を破壊した戸籍法以下のアメリカの占領政策を変えなければならない。もう一つ大事なことは、日本という国をこれから十年、五十年、百年先にどういう国家にするのかという、大きなデザインをきちんと内外の知恵を集めて作らなければならない。
 具体的には、今日本は一億二千七百万人の人口があるけれども、日本より六倍や八倍と平地面積が広いフランスやドイツでも、日本の人口の半分ぐらいしか無い。しかし少子高齢化で人口が減り、労働力が足りなくなるから、外国から輸入しろと経済関係の人は言う。ところが国家としての日本の適正人口はいくらなのか。徳川時代は二百七十年。その間の人口は、飢饉などがあった時のどん底は二千五百万人。ピークが明治維新時の二千七百五十万人。それがわずか百三十五年で一億二千七百万人という世界第九位の人口に。しかも領土は明治維新の時よりも減っているのです。この問題を国家戦略としてどう見るかというのも非常に大事です。
 それから現在日本は防衛も外交も、もっと言えば内治・経済も全部アメリカの支配を受けている。これをいつまで続けるのか。明治維新は大名とか侍を無くした。敗戦は軍人を無くした。今の日本は何によって支配されているかというと、大名も侍も軍人もいない。官僚ですよね。日本は今、官僚が管理する社会主義国家になってしまった。これはいろいろ考えると、結果悪平等社会です。学校の教育で、かけっこにしろ成績にしろ何にしろ、とにかくみんな平等でなければならないという。この官僚支配をどうするかというのも大きな問題です。
 また二十あった日本のいわゆる都市銀行が、今は四グループに整理されてしまった。生命保険会社は、一定のランク以上の生命保険会社が二十一あったのが、七つつぶれて十四残って、その内の七つはもうつぶれたも同然の姿です。ところが外国の生命保険会社が今十三出来ました。
元谷●このまま行くと、国債決済業務をできる銀行は全部無くなりますよ。その元凶は、とめどなく続く資産デフレにあると思います。土地も株もどんどん下がっていく。たしかにバブルの高騰をそのまま続けていくことは良いことではなかった。だからと言って、どんどん下がればいいという考え方に問題がある。
 アメリカはやはりよく日本を研究しています。冷戦が終わって、日本が冷戦の漁夫の利で貯め込んだ金融資産一千四百兆円をどうやって取り返そうかと考えた。日本の経済的な強みは間接金融にあると理解し、この強みを無くするために、BIS規制という「孫悟空の金輪」のようなものをつくり、どんどん締めつけていけば、日本の経済は弱体化するだろうと非常に緻密に計算してかかってきていると思うんです。このまま行ったらどんどん銀行が駄目になり、挙げ句のはてに日本の優良企業の株がだんだん外資のものとなって、五%ぐらいのものが一〇%になって、一五%になって、最近では二〇%を超え、もう三年ぐらいすると五〇%以上の株式を外資が保有することになるんじゃないかと。
 アメリカがアメリカの国益を考えるのは当然なのですから、日本は日本の国益を考えて、互いにきちんと主張し合うことが大切だと思います。日本がいつまでもアメリカの隷属下で、半植民地的な状況で、軍隊の保有を禁止されて、自分で立てなくさせられて、そして「日本人は儲けるのがうまいけれども、使うことをしない。だから、必要な時まで貯めさせておいて、必要な時に取り返せばいいじゃないか」という論理で貯め込まさせた一千四百兆円の金融資産などが、今まさに取り返されそうになっている。確かに冷戦時に漁夫の利で儲けたのだけれども、だからと言ってそっくりお返してよいのか?やはり取り返されないように防衛しろ、というのが私の藤誠志が書いているエッセイのスタンスです。






各国から信頼される国となり、東アジア圏のリーダーになる。

清水●北米大陸はカナダとアメリカ合衆国です。それからメキシコ、ブラジルという中米・南米。アメリカは、北米から中米、南米にかけて、経済圏をきちんと作り上げている。そしてアメリカが今度はヨーロッパに触手を伸ばしかけた。イギリスはもう全くアメリカと一緒だから受け入れた。他のヨーロッパは気がついてEUで結束して、ユーロ圏を築いています。
 ではアジアはどうするのか。中国にしろ日本にしろ、リーダー国として各国の信頼を得てアジアをまとめていけるかというと、まだかなりの年月と経験を要すると思います。間に合わないのです。アメリカ大陸とヨーロッパに比べて…。
元谷●方向性として、やはり日本を中核として韓国と台湾が結束して東アジアに一つの核を作っていくべきではないかと。世界三極化というとなんですが、アメリカ、ヨーロッパ、東アジアというふうになればと思うのです。
清水●そうなるでしょう。なると思うけれども…まだまだですね。
元谷●おっしゃる通りに問題が多くて遠いですね。先のイラク戦争などというのは、やはりヨーロッパとアメリカの、中東を巡る争いと言えなくもないわけですし。このままアメリカの一極支配体制になっていき、これにずっと隷属して日本が組み込まれていくのか。それとも日本は独り立ちした国として東アジアに影響力を示していくのか。ここが今後日本が進むべき道の選択肢になってくると思いますが。
清水●残念ながら日本の政治家も、官僚も、経済界も、一般国民も今はバラバラですよ。これが自覚して、日本民族が一つの方向性をきちんと見出して、各国から信用されるような状態を作り出さないとだめですね。今の日本では、経済力はあっても、アジアに呼び掛けるだけの資格というのはない。
元谷●そうですね。ですから、やはり教育から始めないといけない。時間は掛かるけれども。
清水●明治維新の時には小学校、中学校、高校、そして師範学校を作った。今は師範学校が無い。まず明治維新のような師範学校を作って、子どもたちを本当に自分の使命感で教育する先生を作らないと。
元谷●聖職という気持ちでね。
清水●そうです。ただ勘違いしてはいけないのは、学校という所は、本来は外国語とか数学とか物理とかそういう学問を教える場所。道徳とか修身とかしつけというものは、本来は家庭で親が子どもに指導すべきです。ところが今の家庭は、もう自分のそういう職務を棚に上げている。
元谷●給料の振込を現金支給にすれば、少しは親父の威厳、家庭の尊厳も回復するかもしれませんね(笑)。最後に「若い人に一言」というのをいつもお聞きしているのですが。
清水●僕が好きな言葉なのだけれども、一番は「天衣無縫」です。天の衣は縫い目が無い。融通無碍だということです。人間もそうありたい、小さい所にこだわったり固まったりしたのではいけない。
 もう一つは「常在戦場」。常に戦場にあると。
元谷●そういう気持ちじゃないといけませんね。私は事業は戦争だと思っているんです。七転八起と思っているようなことではいけない。
清水●もう一回転んだら死ですよ。
元谷●やはり戦争だからね。やるからには勝たなければいけない。今日は本当にいいお話をありがとうございました。