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国際ジャーナリストとして、アキノ氏暗殺の現場が原点。
元谷●今日はお忙しいところ本当にありがとうございます。
文字通りお忙しい方で、前々からお願いしようと思っていたのですが、ビッグトークへの登場をお願いしようとすると外国へ行ってらっしゃるものですから・・・(笑)。
若宮●確かに、あちこち飛び回ってはおりますが・・・(笑)。
元谷●若宮さんと言いますと、やはり、マニラ国際空港でのベニグノ・アキノ元上院議員暗殺事件の現場に立ち会ったジャーナリストとして有名なのですが・・・。
若宮●そうですね、それ以前にも月刊プレイボーイに掲載したアキノ氏へのインタビューで、いわゆる業界では名前を知られてはいましたが、やはり、あの一九八三年八月二一日が強烈ですね。
元谷●そのインタビューで、アキノ氏の信頼を得たのはもちろん、石原慎太郎氏との知己をも得たのでしたよね。
石原氏の著作を読んでいますと、若宮さんのお名前に遭遇したりしますので・・・(笑)。
若宮●アキノ氏と石原氏との結びつきは深かったですね。
その頃の私の立場を簡単に言いますと、お二人の間のメッセンジャーということにでもなるのでしょうか・・・(笑)。
元谷●いやいや単なるメッセンジャーとしてではなく、もっと深く入り込んでいたのではないかと思います。
もう二十年近く前の事件ですが、まだ謎の部分もあるというのが世間の定説ですし、いろいろ口にできない部分もあるかも知れませんが・・・。
若宮●そう、やがて二十年になろうとするんですね。あの一九八三年八月二十一日から・・・。
元谷●心臓に疾患のあるアキノ氏が、拘留中に死亡したらまずいということで、心臓手術を受けることとなって、アメリカへの渡航が許され、実質的には亡命というカタチでアメリカに渡ったアキノ氏が、あえてフィリピンへの帰国を決意して、結局は、マニラ国際空港で暗殺されたわけですが、その帰国の旅に同行していて、暗殺の目撃者となったのですよね。
若宮●はい、アウトラインとしては、そういうことです。
そのときも石原先生と僕は初めから連絡を取りあっていましたし、今告白するとたまたま暗殺現場に立ち会い目撃したのみならず、決死の帰国のスタッフとして私も参加していたということです。まさに彼の恐れが現実になったわけですが、彼は「防弾チョッキを着ていても敵が本当に殺そうと思ったら、頭一発撃たれれば死んでしまう」と考えていました。
だから「自分の身辺を守るのは防弾チョッキではない、ガードマンでもない、世界の目、マスコミだ。だから、世界の影響力のあるメディアを、特にテレビを中心にして自分を守りたい。マルコス独裁政権は野党指導者に対してどういうことをするかという現実を訴えたい」という気持ちがあったわけですから・・・。
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