2002年 3月号

若宮聖史(ワカミヤ&アソシエイツ代表)
元谷 外志雄(APAグループ代表)

国際ジャーナリストとして、アキノ氏暗殺の現場が原点。

元谷●今日はお忙しいところ本当にありがとうございます。
文字通りお忙しい方で、前々からお願いしようと思っていたのですが、ビッグトークへの登場をお願いしようとすると外国へ行ってらっしゃるものですから・・・(笑)。
若宮●確かに、あちこち飛び回ってはおりますが・・・(笑)。
元谷●若宮さんと言いますと、やはり、マニラ国際空港でのベニグノ・アキノ元上院議員暗殺事件の現場に立ち会ったジャーナリストとして有名なのですが・・・。
若宮●そうですね、それ以前にも月刊プレイボーイに掲載したアキノ氏へのインタビューで、いわゆる業界では名前を知られてはいましたが、やはり、あの一九八三年八月二一日が強烈ですね。
元谷●そのインタビューで、アキノ氏の信頼を得たのはもちろん、石原慎太郎氏との知己をも得たのでしたよね。
石原氏の著作を読んでいますと、若宮さんのお名前に遭遇したりしますので・・・(笑)。
若宮●アキノ氏と石原氏との結びつきは深かったですね。
その頃の私の立場を簡単に言いますと、お二人の間のメッセンジャーということにでもなるのでしょうか・・・(笑)。
元谷●いやいや単なるメッセンジャーとしてではなく、もっと深く入り込んでいたのではないかと思います。
もう二十年近く前の事件ですが、まだ謎の部分もあるというのが世間の定説ですし、いろいろ口にできない部分もあるかも知れませんが・・・。
若宮●そう、やがて二十年になろうとするんですね。あの一九八三年八月二十一日から・・・。
元谷●心臓に疾患のあるアキノ氏が、拘留中に死亡したらまずいということで、心臓手術を受けることとなって、アメリカへの渡航が許され、実質的には亡命というカタチでアメリカに渡ったアキノ氏が、あえてフィリピンへの帰国を決意して、結局は、マニラ国際空港で暗殺されたわけですが、その帰国の旅に同行していて、暗殺の目撃者となったのですよね。
若宮●はい、アウトラインとしては、そういうことです。
そのときも石原先生と僕は初めから連絡を取りあっていましたし、今告白するとたまたま暗殺現場に立ち会い目撃したのみならず、決死の帰国のスタッフとして私も参加していたということです。まさに彼の恐れが現実になったわけですが、彼は「防弾チョッキを着ていても敵が本当に殺そうと思ったら、頭一発撃たれれば死んでしまう」と考えていました。 
だから「自分の身辺を守るのは防弾チョッキではない、ガードマンでもない、世界の目、マスコミだ。だから、世界の影響力のあるメディアを、特にテレビを中心にして自分を守りたい。マルコス独裁政権は野党指導者に対してどういうことをするかという現実を訴えたい」という気持ちがあったわけですから・・・。



支配する平和、支配される平和、そして力の均衡に基づく平和。

元谷●いま若宮さんは、フィリピンの人脈はもちろん、東南アジア全域にすごい人脈をお持ちですが、その原点がベニグノ・アキノさんとの出会いだったということですね。
若宮●はい、間違いなくそうです。彼との出会いがなければ今の私はありませんから・・・。
元谷●政治の世界に幅広いネットワークをお持ちの若宮さんの前で自説を展開するのは、少しばかり勇気がいるのですが・・・(笑)。
若宮●何をおっしゃいますか、代表は天下の論客ですから・・・(笑)。
元谷●私は、平和には三つのカタチがあると思っています。支配する平和と、支配される平和と、そして力の均衡に基づく平和という三つです。
そろそろ日本も普通の国としてバランスオブパワー、いわゆる力の均衡に基づく平和を求めていくようになっていかなければなりません。
そのために依拠していくのは、フィリピンであり、台湾であり、マレーシアです。どちらかというといまだ親日的要素を残しているこれらの国々との関係を、今のうちに深めておかなければ・・・。
若宮●そうですね。李登輝さんとかマハテールさん、それに韓国では金鐘泌さんとか、親日といわれる方は結構まだおられます。
ただ、確かに時間がありませんね。これらの世代が去ってしまう前に、太いパイプを作っておくべきだという代表の思いは、まさに当を得ていると思います。
元谷●戦後の教育が日本においても誤った歴史教育をずっとやってきたと同様に、近隣諸国においてもそれを受けての誤った教育をやっているというのが私の忸怩たる思いです。
誤った歴史を学ぶ中から、日本に対する親密感など生まれるはずなどありませんから・・・。
若宮●はい、代表がいつも言われている自虐史観の撤廃を含めて、日本の外交は何をやってきたのだという話にきっとなるだろうと、今日は覚悟してまいりましたので・・・(笑)。
元谷●さすが、そのあたりまで折り込み済みでしたか・・・(笑)。
若宮●教科書なるもの、自国中心でない教科書なんてありません。韓国も国定教科書、中国も国定教科書、台湾も国定教科書、あの自由で日本よりも民主主義が早かったと自称しているフィリピンでも国定教科書で、四冊か五冊の中からしか選べません。
そこに書かれていることを見ると、フィリピンの独立戦争に対して日本が援助したことなど一つもありませんし、韓国にしてもしかり、やはり我が日本はマイナスのイメージ、負のイメージ、侵略者のイメージでしか描かれていません。
元谷●だから、日本の教科書もおかしいけれども、そういった国々、東南アジアでいろいろ行われている教育もやはりおかしいわけで、そのためにも日本がまず、日本の立場に立った教科書を作っていかないとどうしようもないと思います。
若宮●あえて朝日新聞だとは言いませんが・・・(笑)。
韓国とか中国に対しては、いわゆる「良心的日本人」と言われている人たち、また「いわゆる左翼」の人たち、さらにあえて名前をいえば東大の和田先生とか・・・(笑)。
憲法九条に基づいて反権力、憲法擁護をしている勢力、いわゆる平和勢力と言われる人たちの存在が、今こそ問われているのではないでしょうか。これからも我々自身、堂々と名前を挙げて指摘していくべきだと思います。



第二次世界大戦の前から、東西冷戦は始まっていた。

元谷●自虐史観の始まりは南京大虐殺にあると私は思っています。もちろん、決して一人も殺さなかったと言うつもりはありません。
戦争というのは殺し合いだから、それは戦闘において殺し合いは当然あります。しかし、無差別に一般の民衆を虐殺したように教えられている、そしてまたその報道に反論しない日本のマスコミであったり、日本の政治家であってはいけないと思うのです。
若宮●私にしてもさえ、できれば避けて通りたいような、実に大きくかつ難しいテーマではありますね、南京大虐殺に関しては・・・。
元谷●私は今こそ、大きな意味の歴史観と世界観に立脚して、日本が歴史に、東南アジアに、そして世界に果たしたそれぞれの役割を、良い面も悪い面もすべてを俯瞰して、総括をして見なければいけないと言うのが基本的なスタンスです。
そのときに、あまりにもとんでもない話が南京大虐殺なのです。対極的にヒットラーのユダヤ人大虐殺がありますが、ヒットラーがユダヤ人を殺すときにどういう装置を使って一日何人殺していたかということを考えてみれば・・・。
若宮●ヒットラーに関しては、まさに計画的でしたね。南京に関してはそれが起こったとしても、偶発的に軍が暴走して起こった出来事なのですから・・・。
元谷●だから、暴発的にわずか三か月間に三十万人の人間を殺しうるか、物理学的に考えてもできません・・・。
若宮●ところが、残念ながら中国の教科書では、日清戦争以来、日本の侵略については初めからそれはもう凄まじい記述です。だから南京虐殺にしても、完全に日本軍自身がそれを目的のためにやったと・・・。もう我々の日ごろの見解とは、百歩ではなくて二百歩、三百歩の差があります。
元谷●それはそういうふうにだんだん大きく言いくるめられてきたのであって、初め彼らは騒いでいなかったはずです。
若宮●いや、南京のことはそうですけれども、中国人の対日観というのは、日本は中国を侵略して中国を乗っ取ろうとしたという大前提があります。
元谷●ある意味では帝国主義の時代だから、遅れてやってきた帝国主義国の一国である日本が宿命的にそうであったということがあります。ですから、私はその点までをも否定するものではありません。
若宮●それなら嬉しいです。
日本の教科書で、日本が南京で多くの一般市民を含む三十万人も大虐殺をしたといった記述をする今の教育は少しおかしいと思います。しかし、僕はトータルにおいて大東亜戦争を美化できませんし、あれは解放戦争だという気持ちになれません。
元谷●私もそうです。私は極右でもないし、そういうすべてが正しかったと言っているのではありません。しかし、不当に言われている点も多々あるのではないかと・・・。
アメリカもベトナム戦争でソンミでの虐殺が小規模といえどもあったし、それより何よりも原爆です。原爆は、それこそまったく何の予兆すらないところにいきなり投下し、数十万人の一般の市民を殺してしまったのですから。
若宮●原爆に関しても、あれは百万人のアメリカの若い兵隊の命を守るためにやったのだと、本当にアメリカ人たちは信じていますから・・・。あのとき日本はへとへとで、アメリカと本土決戦に挑む能力などなかったことなど信じてもらえません。
元谷●あの原爆投下は、既に始まっていた東西冷戦におけるソ連への威嚇だったと私は考えています。第二次世界大戦後のソ連の覇権を抑えるために、ソ連に恐怖心を与え震撼せしめるためにこそ、投下したと思っています。
第二次世界大戦が終わってしばらくしてから冷戦が始まったのではなく、第二次世界大戦以前からもう冷戦が始まっていたのですが、アメリカは敵の敵は味方だと、独ソ戦において対ソ軍事支援をしていたのですが、原爆は戦後体制をにらんでのアメリカの布石です。
若宮●なるほど、あの広島、長崎の投下には「こんなものを持っているんだ、これをよく見よ」というものをソ連に見せるためにという、そのような意味が含まれていたという見解ですね。



人生という限りある時間を、完全燃焼させて欲しい。

元谷●若宮さんとは、もっと意見交換をしたいのですが、そろそろお約束の時間ですね。ぜひ、改めて時間をとってください。 
いつも最後に、若い人への一言ということでメッセージをお願いしているのですが・・・。
若宮●そうですね・・・。
私が伝えたい思いは、すでに代表がフレーズにしているではないですか、二百年生きた人間はいないと・・・。
元谷●先日の三十周年記念のビデオなどにも入れている私の言葉「たった一度の人生、人間二百年生きた人はいない。ならば限られた人生エキサイティングに全力で生きてみたい」というヤツですか・・・(笑)。
若宮●そう、たった一度の限られた人生ならば、エキサイティングに全力で生きるべきだし、そのためには行動あるのみだと・・・。
机上で知識を集積する時代ではなく、現場を知り・現実を知ることで、知恵を集積しなければいけない時代です。
元谷●そう、知恵の時代ですね。単なる記憶力で勝負するのではなく、経験・見聞を通じて自分の知識を知恵にまで高めることが必要ですね。
今日は、本当にありがとうございました。